J a p a n e s e    C u l t u r e

Modern and Traditional Japanese Culture: The Psychology of Buddhism, Power Rangers, Masked Rider, Manga, Anime and Shinto. 在日イギリス人男性による日本文化論.

Wednesday, July 09, 2014

 

Gaze Synchrony even during Sex

Shared Gaze even during Sex
Osamu Kitayama points out that there are many Japanese woodblock prints - Ukiyoe or Pictures from the Floating World - which feature the shared gaze of children and mothers. These images of mothers and children often feature mothers drawing their child's attention to some fleeting "floating" phenomenon such as cherry blossom, bubbles, or a kite. In this pornographic image - Shunga - both parents are watching their son's paper plane as they engage in mutual masturbation.

Professor Kitayama almost but does not quite reach the conclusion that I would like him to reach that, Japanese here pictured and viewing, are always still gazing with mother because they have simulated the gaze of their mother in their minds.


北山先生は、共に見ることが日本人の成長過程や 精神構造について何かを表していると、母親たちが風船やシャボン玉などの浮いているはかない物を子供に見せながら子供と共に見ていることが浮世絵で表されていると、子供たちがオヤジ顔で、浮世絵を眺めているオヤジを表していると、共に見ることが小津の映画などの現代の芸術表現でも繰り返されているとしかし、何を表しているかについては語っていません。それは優しいです。共視論ご発表の3年ぐらい前に、北山先生に拙い逆ラカン理論を口頭で北山先生が久留米の石橋文化センターで講演会を行う直前(直後)に説明させていただきました。

経済学のアダム・スミスや精神分析のフロイトや社会心理学のミードや文学評論家のバフチンなどはそろって、自己を成立させるのには内的な他者が必要であり、またその他者は言語的な理解者であると論じている。なぜならば、音声言語を発声することで自ずとその言語を他人が聞くように聞く。また、社会から離脱している「公平的な傍観者」(「観」はあくまで比ゆ)「一般的な他者」「超自我」「超宛先」が形成される。

しかし、日本文化について評論する森有正や、日本人についての実証的研究(Kanagawa, Cross, & Markus, 2001)では、日本人は社会から離脱している「第三者」を形成していないと思われる。

そこで、多くの理論者は、日本人は独立した自己がないと考えるが、古事記神話の分析をきかっけに小生が日本人にも自己があるが、その前提となる内面的な他者は、父性的で言語できでなく母性的で視覚的、アマテラスの鏡、あるいは母の目。我々欧米人は自分らの言語的思考が既に超宛先に聞こえられていると感じシミュレーションするが、日本人は自分が見ているものや思い浮かばれるものがシミュレーションされている母なるものと共に見られていると感じて、視覚的な自己形成している。日本人は今でもこの浮世をお母さんと一緒に見続けています。

このお化けのような内面的な他者の仕組みや自己の二重性に気付いてしまうと、自己の存在を支えている偽りが見えて、自己の死を意味することですので、ほんとうに恐ろしいです。欧米のホラーでは言語的な呪文などの中から、死神やゾンビーが登場するが、日本のホラーではお化けの女性(サダコなどなど)がイメージから出て、日本人をイメージに化しています。バルタン聖人も。JU-ON(The grudge)ではKayakoが現像液の中から現れて、男を現像液に連れ込むシーンが好き。

Bakhtin, M. M. (1986). Speech Genres and Other Late Essays. (V. W. McGee, Trans., C. Emerson & M. Holquist, Eds.) (Second Printing.). University of Texas Press.
Freud, S. (1913). Totem and taboo. (A. A. Brill, Trans.). New York: Moffat, Yard and Company. Retrieved from http://en.wikisource.org/wiki/Totem_and_Taboo
Kanagawa, C., Cross, S. E., & Markus, H. R. (2001). ‘Who am I?’ The cultural psychology of the conceptual self. Personality and Social Psychology Bulletin, 27(1), 90–103.
Mead, G. H. (1967). Mind, self, and society: From the standpoint of a social behaviorist (Vol. 1). The University of Chicago Press.
Smith, A. (1812). The theory of moral sentiments. Retrieved from http://books.google.co.jp/books?hl=en&lr=&id=d-UUAAAAQAAJ&oi=fnd&pg=PP18&dq=%22The+Theory+of+moral+sentiments%22&ots=mjeEAFSIge&sig=LNXhHkNjKAWc2r9r_KiRDFxn_Pg
北山修. (2005). 共視論. 講談社.
森有正. (1999). 森有正エッセー集成〈5〉. 筑摩書房.



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